アメリカの美術収集家ジョー・プライス氏のコレクション、プライスコレクションのなかで伊藤若冲生誕300年を記念して行われた「若冲」展でも出品された『鳥獣花木図屏風(ちょうじゅうかぼくずびょうぶ)』が模倣作ではないかという真贋論争が行われているのをご存知だろうか?
『鳥獣花木図屏風』(プライスコレクション)
この真贋論争で触れるべき論文が以下の3つ。
- 『美術史論叢』26号「若冲・蕭白とそうでないもの」2010.3(東京大学教授 佐藤康宏)
- 『國華』第1424号「『伊藤若冲「鳥獣花木図屏風」について』ー佐藤康宏氏の問題提起に応じるー」2014.6(東京大学名誉教授 辻惟雄)
- 『國華』第1432号「プライス本鳥獣花木図の作者――辻惟雄氏への反論」2015.2(東京大学教授 佐藤康宏)
各論文は上から、佐藤氏が『鳥獣花木図屏風』は若冲の模倣作であるとの指摘を行い、辻氏が反論、さらに佐藤氏が再反論する内容となっている。真贋論争の論点とそれぞれの主張、そして真贋論争の余波について以下にまとめてみた。
目次
他の伊藤若冲作品との比較
冒頭に挙げた各論文のなかで『鳥獣花木図屏風』と比較すべき作品が2つ登場する。いずれも桝目描きと呼ばれる碁盤の目のように画面を分割して描き出す特異な手法を用いた作品だ。
佐藤氏も辻氏も『白象群獣図』に関しては若冲自筆の作品と捉えているが、その位置づけが違うようだ。佐藤氏が他の作品と比較するうえでの桝目描きの基準作として捉えているのに対して、辻氏は桝目描きの初期的、実験的作品であり、その他の作品でさらに桝目描きは進化したと捉えている。
食い違う伊藤若冲の桝目描きの基準
佐藤氏は若冲の桝目描きの特徴を『白象群獣図』に則って次のように述べている(辻氏の論文から佐藤氏の指摘として引用)。
・桝目の中の小さな濃い灰色の正方形は、一個の例外もなく必ず桝目左上隅の二辺に接して描かれている
・二重の正方形はあくまでも下地であって、下地の正方形の形が上に描かれる画の輪郭に影響している箇所は一つもない
・桝目を意識しない自由な曲線でモチーフを形つくり、暈して陰影を施す
さらに佐藤氏は前述した桝目描きの特徴について、次のようにその厳密さを説く。
桝目描きが織物の質感を絵画で再現することにおもしろさを見出しているのだとしたら、織地の凸凹のイリュージョンを出すために桝目すべての内側の角に小正方形を揃えるのは不可欠の措置だったろう。(中略)モチーフそれぞれの形を抽象的にデフォルメしてはいるが、彩色はできるだけ自然らしくしているのである。
一方、辻氏は白黒の淡彩で描かれた『白象群獣図』と比べて『樹花鳥獣図屏風』『鳥獣花木図屏風』については次のように説き、若冲の桝目描きが進化した最終形として『鳥獣花木図屏風』を捉えていることがわかる。
少なくとも淡彩を濃彩に切り替えなければ多色の装飾効果はおぼつかない。やり方を変えるしかない。その実験的段階が前記の静岡県美本(注:『樹花鳥獣図屏風』)であり、その経験をふまえ、さらに工程を進化させたのがプライス本(注:『鳥獣花木図屏風』)である。
さらに辻氏は『鳥獣花木図屏風』の桝目描きについて、左上隅の二辺に接して方形が描かれていた『白象群獣図』と比べて
それぞれのコマ内における小さな方形の重ね描きは、すべてコマの中央に置かれている。これは「白象群獣図」の場合とは別の、新しい法則が出来たことを意味しよう。
として、佐藤氏の主張する『白象群獣図』の桝目描きの特徴は必ずしも若冲の作品すべてに通じるものではないという。さらに新たな『鳥獣花木図屏風』の桝目描きの特徴を挙げ、若冲は絵画とデザインの間を自在に往還した人だと主張している。
・桝目の内部に施された色数は2色だけでなく3色の場合もある
・桝目のなかの小方形が6つ、9つに分けて描かれることもある
・雷鳥の羽毛など桝目一つ一つに細かな模様が描入れが施されることがある
参考までに、この特徴に当てはまる『鳥獣花木図屏風』の部分拡大図を挙げておこう。
動物たちの形状崩れについての見解
佐藤氏は著書『もっと知りたい伊藤若冲 生涯と作品(改訂版)』のなかで『樹花鳥獣図屏風』『鳥獣花木図屏風』を次のように断じている。
静岡県立美術館の屏風(注:『樹花鳥獣図屏風』)は、動植物が若冲らしい形を持っているので、下絵だけは若冲が手がけたと思わせるが、類似の技法の「鳥獣花木図屏風」(プライスコレクション)は違う。プライス夫妻の収集品には重要な若冲画がいくつもあるが、あの屏風は絶対に若冲その人の作ではない。若冲の描く緊張感に富んだ形態はまったくなく、すべてはゆるみきって凡庸である。静岡の屏風の配色が自然らしさに配慮したものであるのに対して、プライス氏の屏風の配色は平板で抽象的な模様を作るだけに終わっている。工房作というにはあまりにも若冲画との落差が大きいので、稚拙な模倣作というべきだろう。
動物たちの形状崩れの主張を紐解くため、桝目描きの3作品すべてに登場する動物のうち、熊について比較してみる。
左から『白象群獣図』『樹花鳥獣図屏風』『鳥獣花木図屏風』の熊。『樹花鳥獣図屏風』の熊の口元は桝目の線に従い不自然に彩色され、佐藤氏の指摘する桝目描きの特徴「下地の正方形の形が上に描かれる画の輪郭に影響している箇所は一つもない」に反している。さらに佐藤氏は『鳥獣花木図屏風』の熊について、
もはや熊の顔ではあり得ない細面に痩せてしまっている
と厳しく断じている(ツキノワグマの「月」を首元に残しているため黒豹という見立てはありえない)。その他のモチーフについても
動植物を輪郭するぶよぶよした締まりのない曲線だった。(中略)それらの曲線は、およそ写実的でもなければ若冲の形の持つぴーんと張った緊張感も欠いている。目立って形の崩れがひどいのは、(中略)数え上げていけば、ほとんど全部の動物になってしまう。
と手厳しい指摘。
これに対して辻氏は『鳥獣花木図屏風』に描かれたモチーフについて
ぶよぶよとして締まりのない曲線、それがこの絵のどこにあるだろうか。
と真っ向から否定。
この屏風の画家の意図したものが、(中略)色と形のジグソーパズルであり、桝目というルールを使ったパズルとしての遊戯性が、個々の動植物の自然な描写より優先されているということだ。
と捉えている。
辻氏の論文に『鳥獣花木図屏風』の熊についての反論は書かれていないが、若冲の描く代表的な動物として挙げられる鶏については以下のような反論を行っている。
頭でっかちな雄鶏を、佐藤氏は酷評しているが、これは向き合った鳳凰と対比させるために、これだけの赤と黄の色面をこの位置に置きたいという画家の意図によるものであり、大きな鳳凰とバランスを取るための意図された誇張であろう。
以下に雄鶏部分の比較画像を。鳳凰とのバランスについては最上部に挙げた『鳥獣花木図屏風』全体図でご確認あれ。
さらに若冲が幾何学的フォルムを好み、自然の形態を幾何学の世界に引き入れることを楽しんだとして、象・鶴・ムササビを例に挙げている。
『鳥獣花木図屏風』はいつ誰が描いたのか?
辻氏は前出の論文のなかで、『鳥獣花木図屏風』が書かれた時期について以下のように記載している。
佐藤氏のように、幕末の時期まで下げず、静岡県美本(注:『樹花鳥獣図屏風』)と同様、若冲生前の工房で作られたと推察する。
具体的な年代については、若冲が天明の大火で被災した後、弟子たちとのグループ、いわゆる若冲工房で寛政二年の数年後に制作と推定。その裏付け資料として内山淳一氏の論文『仙台市博物館調査研究報告』34「屏風の中の動物たち-伊藤若冲とその周辺作品をめぐって」を挙げている。
内山氏の論文で裏付けられたのは、プライスコレクションの『鳥獣花木図屏風』でしか出てきていない動物たちの姿は若冲生前に出された博物学の本で観ることが可能だったということ。例示で挙がっていたのは、ロバ、オランウータン、ヤマアラシ。
佐藤氏はこの主張に対して、『鳥獣花木図屏風』が若冲作であることを前提としたものであり、その他の若冲作品にこれらの動物が登場していないことから若冲が関わったとするには論拠が薄いとしている。
真贋論争の余波
これまで挙げてきた真贋論争は、模倣作だと主張する佐藤氏が若冲関連の展示から締め出される結果となってしまった。以下にその経緯を簡単にまとめてみよう。
作品借用のために所有者との対立を避ける環境
『鳥獣花木図屏風』を所有する当のプライス氏は、佐藤氏の提起した疑義についてどう思っているのか。前述の辻氏の論文のなかでジョー・プライス氏はこう述べている。
「それはあり得ない。なぜならば、もしこれが若冲でないとしたら、彼と同等、あるいはそれ以上の才能を持つもう一人の画家が、周辺にいたことになる。そんなことなど考えられるだろうか」
たしかに若冲にせよ若冲以外の人間にせよ、8万数千もあるという桝目を2色以上の色で埋めるのは、とんでもない労力を要する制作作業だったに違いない。しかし、プライス氏が若冲筆であることを疑わない『鳥獣花木図屏風』に対して疑いをかける難しさを佐藤氏は説く。
いち早く若冲画の収集を始めたプライス氏の鑑識眼に、研究者は一目置かざるを得ないのである。(中略)「鳥獣花木図」を若冲の作ではないと考える研究者は、別に私ひとりではないのだが、彼らは積極的にそういう意見を表明しようとはしない。それは辻氏を含む肯定派と敢えて対立するのを避け、特に今後なおプライス・コレクションからの作品借用に自らが関わることが想定される場合、所有者の不興を買うのを控えるのが賢明と当然判断されるためである。
その所有者の不興を裏付けるかのように、佐藤氏の著書『もっと知りたい伊藤若冲 生涯と作品』でプライスコレクションの図録掲載を断られるという出来事が起きていた。下記はAmazonでの著者からのコメント(現在は改訂に伴い、記載内容は変わっている)。
モザイクのような、いわゆる桝目描きの技法で作られ、プライス・コレクションに入った屏風を、私は若冲の画とは認めません(従来も繰り返し、この本でも述べているとおりです)。少なくともエツコさんはその見解がお気に召さないらしく、ほかの作品まで掲載を断られてしまいました。プライス夫妻とは30年のおつきあいですし、ジョウさんの鑑識眼を信頼してもいました。いまでもあの「鳥獣花木図屏風」以外は重要なコレクションだと賞賛しています。今回の措置も残念ですが、それ以上に、だれよりも若冲を愛していたジョウ・プライスさんにして、あんな下手な屏風を若冲の作と信じてしまうものかと、あらためて悲しくなりました。
ジョー・プライス氏の奥さんは日本人で悦子さんと言う。なぜ悦子氏はそこまでの措置を取ったのだろうか。
所有者の思い入れと対立する作品への疑い
図録掲載拒否という措置が取られた背景には、おそらく悦子氏の『鳥獣花木図屏風』への思い入れと「若冲・蕭白とそうでないもの」に書かれた佐藤氏の主張が真っ向から対立していることにあると思われる。
まずは、悦子氏の思い入れについて。悦子氏は2013年に「東日本大震災復興支援 若冲が来てくれました プライスコレクション 江戸絵画の美と生命」を行った際に、見てほしい作品のひとつに『鳥獣花木図屏風』を挙げて次のように語っている(展覧会カタログから引用)。
私は震災2日目から地下の展示室でこれを毎日ながめたのです。心のよりどころがなくて、これを拝むような形で見ていました。そうするとすごく体が温かくなって、ついつい思い出すうち、亡くなった動物とか家畜とか、皆その中に詰まっているような感じがしました。だからこの絵は仏画だなと思った。
そして、佐藤氏の主張。
この屏風は、若冲らしく見せかけた署名や印章によって若冲筆と騙り、人を欺こうとしているわけではないのだから、別に贋作ではない。作者不明のただの模倣作なのである。(中略)もともとは違うだれかが描いたものをある作家の作品だと呼んで流通させる者は、その行為を通じて贋作者となる。(中略)「鳥獣花木図」を、もはやそのような意味での贋作になりかねない不名誉な地位から解放してやるべきだと私は訴えたい。
思い入れ深い作品が若冲模倣作であり、自分のことを「贋作者」同然に言われたと、悦子氏が佐藤氏の主張を受け取ってしまったならば、行き違いも起きるというものだろう。
さらに冒頭で述べた伊藤若冲生誕300年記念の「若冲」展でも佐藤氏の著書が売店に置かれないという事態も起きているようだ。佐藤氏はFacebookにてこのように吐露している。
この展覧会の関係者は、プライス・コレクションの「鳥獣花木図」を若冲の作ではないと表立って公言しない方々(中には本気で若冲作と信じている人もいる)で構成されています。そういう性格ゆえでしょうが、本の売り場には私の本だけは置いてなかったですね(苦笑)。スポンサーの日本経済新聞社にこういう目に遭わされるのは2回目ですので、驚きませんが、結局、若冲よりもプライスさんの方がだいじなのですね。
スポンサーの「忖度」による措置ではないかと疑われても仕方のない状況となっているのだ。
まとめ
改めて『鳥獣花木図屏風』に関する真贋論争の論点とその余波について簡単にまとめると次の通り。
伊藤若冲の桝目描き
- 佐藤氏:厳密なルールに則って描かれている
- 辻氏:デザインとして自由に描かれており、応用・進化を遂げている
動物の形状崩れ
- 佐藤氏:他の作品に比べて描かれた動物たちの形状が崩れている
- 辻氏:デザイン的なデフォルメや構図のバランスを取るために誇張している
いつ誰が描いたのか
- 佐藤氏:幕末期、若冲が直接関わっていない模倣作
- 辻氏:寛政期、若冲と弟子たちによる若冲工房作
真贋論争の余波
若冲作ではないという主張は所有者のプライス夫妻の主張と異なり、佐藤氏は若冲関連から締め出される結果となっている
今のところ議論は平行線を辿っているこの真贋論争。いずれも主観的な主張のぶつかり合いのため、画材の科学的な検査など客観的な調査が望まれる。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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分かりやすくて、大変参考になりました。ありがとうございます。
当方としては大方は辻氏の説に賛成なのですが、ただ辻氏も若冲が何故そうした面倒な升目描きをわざわざ意図したのかの真意を理解されていないので、説得力が今一つのようですね。