春峯庵事件(1)浮世絵贋作事件のあらまし

現在でも日本国内で起きた贋作事件として、一番最初に名前の挙がる「春峰庵事件(しゅんぽうあんじけん)」についてまとめてみた。

事件の概要

東京朝日新聞1934年4月26日
東京朝日新聞1934年4月26日

昭和九年(1934)4月26日、東京朝日新聞に「珍しや写楽の肉筆現る」という大見出しが載った。記事では、某大名華族で春峯庵と号する人が秘蔵していたもので「いづれも得難い珍品」だと大学教授の笹川臨風が絶賛。同年5月14日には「発見」された一連の品々の売立入札会が行われた。入札会に先立ち、豪華な画集『春峯庵華宝集』が作られ、笹川が序文を記した。

入札会は、総額20万円のうち9万円が売約済みとなったが、読売新聞をはじめとする各社で贋作疑惑が報じられ、ほとんどの売約はキャンセルされた。そして2週間持たずに贋作者をはじめ浮世絵骨董商や神官、出版業者などが関わった大がかりな犯行であることが明るみに出た。春峯庵という号も全てでっちあげだったのだ。詐欺事件として立件され、関係者のうち中心人物とされる金子清次(孚水)、贋作を請け負った矢田家の長男・三千男、三男・修らが有罪判決を受けることとなった。

法外な報酬で画集に序文を寄せたため、贋作と知りながら協力した共犯者と疑われた笹川臨風も警察に出頭。取り調べの中でホンモノと矢田家に描かせたニセモノを並べて鑑定させる実証捜査が行われた。結果、贋作を見極めることができなかった笹川は罪には問われなかったが、専門家としての地位を失った。

事件は大学教授という権威が真贋を見誤った事件として、世間に大きな衝撃を与えた。さらに事件として明らかになっているもの以外に「春峯庵モノ」の贋作が市場に出回っていることがささやかれており、現在でも関係者の間で肉筆浮世絵の贋作というトラウマとなっている事件である。

春峯庵華宝集
春峯庵華宝集
コラム:春峯庵事件の時代
春峯庵事件の入札は総額20万円といわれるが、事件のあった昭和九年(1934)当時の貨幣価値はどの程度のものだったのか?『昭和世相史』によると、当時の若い会社員の月給が40円から60円、ライスカレーが食堂で10銭(0.1円)、ミルクホールのコーヒーが5銭(0.05円)だという。ここから今の貨幣価値に換算すると、春峯庵事件の入札は総額10憶近い大商いだったことがわかる。

ちなみに春峯庵事件が発覚し、紙面を騒がせていたなか、さらに大きく取り上げられていたニュースがあった。日露戦争で活躍した東郷平八郎元帥の訃報である。

事件の経緯

矢田家の贋作制作

贋作の制作は岡山出身の矢田一家の手で役割分担されていた。贋作のプロデュースから販売までを手がけた矢田三千男。贋作に古色をつけたのが父の千九郎。三千男の指導の元で贋作を描いたのが、次弟の修と末弟の金満(※金満は、母方の養子に出たため、吉川姓を名乗る)だった。さらに三千男は、弟たちに描かせる前から赤座文琳という贋作絵師と組んで売り込んでいた。こうして制作された贋作を取引していたのは、源泉堂という号で浮世絵を商っていた清水直治である。取引は約4年に渡り、40数回行われたという。

昭和四、五年頃に上野の美術館で展観された浮世絵のなかに、明治前後の偽物があるとにらんだ浮世絵商の金子孚水。納入元である同業者の清水源泉堂に注意を促した。ところが後日、得意先の口から「この頃は浮世絵の立派なのがオマエより他の手からどんどん出ている」と聞かされ、出品元の清水源泉堂を再度問い詰めると、仕入れ元が矢田家であることが判明した。

ミイラ取りがミイラに

矢田家が神田鐳蔵邸から流れてきた贋作を仕入れたとにらんだ孚水はさっそく動いた。神田鐳蔵は昭和三年八月に破産宣告を受けた神田銀行の頭取で、京都の浮世絵商、松木善右衛門に贋作を売り込まれたと噂になっていたのだ。矢田三千男が上野の常宿として使っていた針久旅館で2人は面会。贋作が得意先まで及ぶことによる肉筆浮世絵の値崩れを恐れた孚水は三千男に贋作の買い切りを約束する。ところが買い切れば終わると思っていた贋作は、矢田家で制作されていたためいくらでも出てくる。希望の品がすぐに出てくることもあって、孚水は矢田家の贋作制作に気づくことになった。

昭和七年初めごろ、矢田家は贋作制作から足を洗い、長男の三千男は上京して浮世絵研究をメインに文筆業で独立しかけていた。ところが岡山に残った矢田家は小型映画業で失敗した後に上京、三千男に無断で再び贋作制作を始める。父親の贋作制作再開に気づいた三千男から相談を受けた孚水は、一度は贋作制作を止めるよう勧告する。

しかし、子だくさんで大所帯だった千九郎から「生活を保証してくれるなら偽作は止めてもよい」と言われ、逆に「模写画」制作を押し進める立場になってしまったと孚水は語っている。ミイラ取りがミイラになった瞬間だ。

金子孚水の画策

制作された贋作はどこかに売らなければお金にならない。孚水は模写頒布会と称して「模写画」として矢田製の絵を売る一方、清水源泉堂にも品を流した他、飯田橋大神宮の神職だった渋谷吉福の家に預けていた。贋作をもっともらしい邸宅や蔵に預けて、あたかも代々伝わっているようにみせる「埋け込み(いけこみ)」である。そして肉筆浮世絵を扱う中心勢力だった金子孚水の対抗馬として頭角を表してきた御成道(おなりみち)一派に売りつけようと画策したと推測される。孚水にとっては、だぶついてきた矢田製浮世絵をさばけるとあって一石二鳥だったのだ。

御成道とは、徳川将軍家が上野寛永寺に参詣する際に通った道のこと。御成道の上野広小路寄りには、浮世絵を扱ってはいるが土産用の絵葉書や扇子が並んだ美術商とは言い難い店が並んでいた。孚水に標的にされた近松八郎小松悌八佐野平六のトリオもそんな一味だった。近松は魚屋あがりの画商、佐野は能役者が本職で浮世絵は素人だが目利きの人物だという。強引な取引で自分の得意客を荒らしに来た御成道一派を孚水はこころよく思っていなかったのである。

御成道一派、入札会開催へ

矢田三千男によって語られた話によると、孚水は模写頒布会に出す予定の作品を一点、果師(※はたし:品物を借りて売り歩く商人)の宇井博を介して近松八郎に贋作を売り込んだ。これが2回3回と成功する。その後、孚水のもとに緊張した面持ちで現れた清水源泉堂は「渋谷邸で浮世絵の名品を10数点見せられたが、どうやら矢田家作成の贋作らしい」と言う。

その後、清水は「たらい廻し」の役回りとなる。贋作をホンモノの名品と確信した近松は渋谷邸に入り浸り、ついには一括で買い求めることを決意した。裁判記録によると、御成道一派で団結して12万円、贋作と知りながら清水源泉堂も3万円を出資して、渋谷邸の品々を買い切った。

ところが近松らは素人からも何口かの出資を頼んでいたため、好条件で早く現金化する必要に迫られた。出資者たちから公開入札開催の要望が出ると、清水源泉堂は矢田製の贋作が公になることを恐れて反対したが、結局押し切られる形となってしまった。

いい条件で入札してもらうには、取り仕切る札元が名のあるところでなくてはいけない。近松らは札元の格にふさわしい山中商会、春海商店、石井三柳堂に札元を依頼したが、品物の出所が明らかでないことを理由に断られてしまう(おそらく渋谷か宇井から近松らに出所の口止めをされていたのだろう)。最後に川部商会に泣きついた結果、一流の学者が保証するという条件で札元を引き受けてくれることとなった。

笹川臨風の運命を分けた伊香保下見会

一流の学者として白羽の矢が立ったのが笹川臨風だった。当時、東洋大学・駒澤大学で教鞭をとっていた笹川教授は、浮世絵界の最高権威とされていた。そして近松らは昭和九年(1934)の4月上旬、下谷にあった料亭伊香保に笹川臨風の他、美術評論家・大曲駒村(おおまがりくそん)、牛山充、小説家であり浮世絵評論もしていた野口米次郎らを招待して下見会を設けた。

笹川臨風
笹川臨風

野口米次郎は、喜多川歌麿の「扇屋見世先図」、東洲斎写楽の「団十郎、瀬川菊之丞図」、鳥居清長の「美人挿花図二枚折金屏風」、懐月堂安度の「婦女遊楽図六枚折屏風」を順に見て全て贋作と確信。その他の作品も見せられたが「細かく眺めて意見を定める元気が全く無かった」と語っており、食事まで出されては窮地に陥ると危険を感じて早々に下見会を去っていった。

しかし笹川臨風、大曲駒村、牛山充は贋作の餌食になってしまった。笹川は前述の通り、画集『春峯庵華宝集』の序文、大曲は画集の別冊『春峯庵什襲肉筆浮世絵妍芳』の解説、牛山は『秘宝出世』の解説で、いずれも贋作をベタ褒めする失態を犯してしまう。後の報道によって笹川は800円(矢田三千男は裁判記録では5000円だったと書いている)、大曲と牛山は100円の”鑑定料”を受け取っていたことが明らかとなった。

事件の発覚

春峯庵から「発見」されたとする筋書きは誰が描いたのかはハッキリしないが狙いは明確だ。「春峯庵」という号は福井藩主だった松平春嶽を意識して付けられたものだった。福井藩に仕えたことがある岩佐又兵衛の作品が入札品最多の4点であることも同じ狙いといえる。こうした松平家という格のある家柄を臭わせた品々の売立入札に先がけて、豪華な画集『春峯庵華宝集』と展観図録『春峯庵什襲浮世絵入札展観図録』が関係者に配布され、東京美術倶楽部で昭和九年(1934)5月12日、13日に入札下見会、同14日に入札が行われると発表された。

矢田三千男、金子孚水の焦り

入札前の4月26日、前述の「珍しや写楽の肉筆現る」の新聞記事で自分たちの手がけた絵がホンモノとして大々的に報道されていることを知った矢田三千男。新聞を手に金子孚水を訪ねて問いただした。金子は「全然関係がないとは云わないが、この新聞のような内容は知らない」と言う。手元に送られてきた入札展観図録には矢田家の弟たちや赤座文琳が描いた作品が掲載されている。さらに入札下見会に先がけて「日本橋の料亭日柄喜において、その一部を展示し御批判を賜りたい」という札元の川部商会からの挨拶状が同封されていた。

金子孚水の動揺はひどかった。日柄喜の下見会には行かないと言っていた孚水は、矢田三千男から「かえって世間の疑いを深める」と説得され、どうにか出席したが、平常心ではいられず途中で会場を出て行ったほどだった。孚水は同郷の後輩で拳闘(ボクシング)クラブの会長をしていた木村東介に売立入札をぶち壊してくれと依頼。しかし、贋作の真相を知らない木村は御成道一派の「肉筆浮世絵の台頭を提唱してきた金子がどうして今回の売立に反対するのか、応援してしかるべき」との主張に説得されてしまう始末だった。

入札中止計画失敗・贋作の暴露

矢田三千男と金子孚水が話し合った結果、残された入札中止の策は「入札会前に金子孚水が抱え持っている品を全て被害者の前に投げ出して誠意を見せたうえで御成道一派に全てを話して謝罪すること」しかなかった。入札が行われて贋作が公になることはすなわち「肉筆浮世絵の信用ガタ落ち」を意味しており、値が下げることは御成道一派にとっても防ぎたい状況であることを説く算段だった。

しかし、春峯庵は大きく話題になる一方、すでに浮世絵商のあいだでは贋作の噂が立ち始めていた。文部大臣や芸術院長など要職を歴任し、浮世絵コレクターとしても知られる高橋誠一郎は入札前に浮世絵商数人に電話で意見を求めた。「いずれも『私どもには判り兼ねる代物で御座います。お暇が御座いましたら、御参考までに御覧になって置くのも御一興かと存じます』というような円滑な返事であった」という。学者連と違って、日々商いで贋作に触れることの多い浮世絵商は場数が違ったのだろう。

真相を知ろうとしたいろいろな人から面会を請われるなか居留守を使っていた矢田三千男だったが、文筆業で恩義のあった小説家・邦枝完二と自宅で会うことにした。贋作の噂を耳にしていた邦枝に「春峯庵」について意見を求められた三千男は、孚水の最後の策がうまくいかなかった時、入札をつぶすには「真相」を暴露する以外にないと考えた。そして「号令をかけるまでは決して発表しない」と邦枝に約束させて、作品に対する自分の考えを詳しく説明した。しかし、邦枝には三千男との約束を守る義理はなかった。かくして孚水が最後の策を講じる前に邦枝によって読売新聞で「春峯庵は真赤なニセモノである」と暴露されてしまった。

警察による贋作の実証実験

読売新聞の報道をきっかけにニセモノ情報が騒がれるなか、警察も動いた。事件関係者は召喚されて取調べを受けた。なかでも当時わずか16歳の矢田家の末弟、金満が贋作を描いたかは疑問視されていた。裏で相当な絵師がいたのではないかという疑惑を持っていたのだ。そこで警視庁の一室で実演させることになった。模写画を金満に描かせると、一人で制作可能であることが認められ「少年は稀世の天才」と騒がれることとなった。模写実験室ではこの天才ぶりを見るために高官が訪れたり、「犯罪博物館」のための作品を作らせたという。

笹川臨風の場合は微妙だった。贋作と知りながら、画集の序文を書いたなら明らかな共犯である。そこで模写実験室で宮川長春の原画から矢田にニセモノを描かせて、原画とニセモノを笹川の前に並べてどちらがホンモノかを選ばせるという実証実験が行われた。結果、ニセモノを選んだ笹川は贋作とはわからずに序文を書いたのだとして法的な処分は行われなかった。しかし、この選択によって笹川は学者失格の烙印を押され、一切の公職から身を引くことになる。

捜査の行方、判決

捜査の順から言えば、最初は春峯庵入札の札元となった川部商会が警察に呼ばれ、次いで入札依頼元の御成道一派、そして仲介役を果たした宇井博が拘留された。さらに春峯庵の舞台にされた渋谷吉福が連行された。そして、渋谷の口から金子孚水の名前が出されて、矢田一家も父親・千九郎、長男・三千男、三男・修と芋づる式に拘留された。「だまされた側」の川部商会、御成道一派、宇井博などはまもなく帰された。

木村東介による手記によれば、時の裁判長は次のように話したという。

こういう偽物製作という犯罪は大したことでないし、ひっかかるのは欲ばり金持ちだけだから本当の被害はないが、10年か20年に定期的に検索することは政策の一つなんだ。それには身体の丈夫なもので意志の固い者を選ぶ。金子は健康で意志も強固だ。君、そうだろう、天下の見せしめにするにはもってこいの男だ。孚水を罰するのじゃあない。偽物作りをするとこういう目に遭うぞという見本にはもってこいの健康体だ。あの男は一年二年ぶち込んでおいてもへこたれるような男ではない。そして描いた側からも一人犠牲者を出せばそれでよい。あとは必要ない。―「私の「春峯庵事件」体験」より

こうして最終的に「署名印章偽造行使・詐欺」により、金子孚水は懲役2年、矢田修は懲役1年6ヶ月の実刑判決、「詐欺ほう助」として矢田三千男と清水源泉堂は執行猶予付き懲役1年の判決が言い渡された。事件落着後、警視庁に差し押さえられていた春峯庵の贋作は、一人素人として出資していたテント商の近藤吉助という人物にすべて下げ渡された。その後海外に売られたという噂もあるが、行方はハッキリしないという(2010年には一部が発見され、展示会が行われている)。

隠された贋作絵師・赤座文琳

矢田三千男は「真説・春峰庵偽作事件」の手記の中で、自分は生来不器用で円形一つ満足に引けないとして、直接描いた贋作はないことを強調する。しかし、裁判記録では摘発された春峯庵モノのうち3点は三千男が描いたと矛盾した供述を残している。裁判で自分が描いたと認めたのは自白よりも不利な事態となる危険があったからと言われている。つまり「赤座文琳隠し」だ。三千男は春峯庵で摘発される以前に文琳作の肉筆浮世絵を他にも売り込んでいたのだ。

春峯庵の公開入札が行われた同時期に長谷川巳之吉コレクションによる「岩佐又兵衛展」が行われた。なかでも呼び物だった「新発見・山中常盤絵巻」その他は三万円という大金で三千男が直接長谷川に売ったものだった。もしこのコレクションに文琳作の贋作が混じっていることが明らかとなれば、今度は矢田三千男も主犯として実刑は免れなかっただろう。

金子孚水は、矢田三千男について、互いに事件で捕まっている当時、すれ違うことがあると「私を拝む格好ばかりしていた」という。孚水は以前から三千男が文琳に贋作を描かせていることを探知していた。どうか警察にはその事実を黙っていて欲しい、という願いが拝む格好となったのかもしれない。赤座文琳が描いた贋作は、矢田製のなかでも特に出来がよく、今現在もホンモノとして流通しているものがあるという・・・

まとめ

春峯庵事件は、春峯庵を謳った公開入札が事件発覚のきっかけだったが、実態は同業者同士の贋作の売りつけだった。そこにはどこで贋作になったかという問いも含まれている。矢田三千男は裁判で「自分は「模写画」として売った」と語る一方、清水源泉堂は「岡山の池田侯爵家何某の大名の伝手を求めて買い受けたもの」と言われて買ったと主張。同じ絵でも扱いひとつで模写にも贋作にも化ける一つの例だろう。

詐欺事件全般に言えることだがダマす意志があったかどうかの立証は難しい。まして贋作事件は、真贋という境目が難しい尺度も加わる。贋作とわかって売っていたのか?金子孚水は認め、清水源泉堂は認めなかった。事実がどちらにせよ、矢田製の贋作が世に出回る結果となった事には変わりない。春峯庵事件で公開入札された品でさえ、警察から下げ渡された後に海外へ流失したり、ようやく国内で一部が発見されたりと未だその全容は明らかになっていない。そういう意味では、春峯庵事件は今もなお続いている事件といえるのではないだろうか。

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参考資料

『芸術新潮』1957年12月号「真説・春峰庵偽作事件」矢田三千男
『芸術新潮』1967年4月号「春峯庵プロデューサーの死」白崎秀雄
『芸術新潮』1983年7月号「肉筆浮世絵の贋作<春峯庵事件>」瀬木慎一
『芸術新潮』1983年9月号「私の「春峯庵事件」体験」木村東介
『歴史読本』1985年12月号「春峯庵「写楽」贋作事件」水野泰治
思文閣オフィシャルブログ「ザ・フェイク―春峯庵事件の謎に迫る」
「東京朝日新聞」1932年5月16日朝刊「偉なるかな北斎 本年は生誕百七十年」
「東京朝日新聞」1934年4月26日朝刊「珍しや写楽の肉筆現る」
「東京朝日新聞」1934年5月11日朝刊「春峰庵収集の浮世絵展観」
「東京朝日新聞」1934年5月23日夕刊「幽霊「名門」で釣り ニセ逸品売立て」
「東京朝日新聞」1934年5月30日夕刊「偽画の提灯持ち 三氏愈々召喚」
「東京朝日新聞」1934年5月31日朝刊「認識不足の折紙 笹川博士も認む」
「東京朝日新聞」1934年5月31日夕刊「笹川博士等召喚 春峯庵事件の取調べ」
「読売新聞」1934年5月23日夕刊「大評判の浮世絵が全く偽物と判る」
「読売新聞」1934年6月1日夕刊「牛山氏召喚 インチキ浮世絵鑑定事件」

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