河鍋暁斎・暁翠伝のブロガー内覧会に行ってみた

2018年4月1日から東京富士美術館で開催の「河鍋家伝来・河鍋暁斎記念美術館所蔵 暁斎・暁翠伝 ─先駆の絵師魂!父娘で挑んだ画の真髄─」のブロガー内覧会に応募したところ当選!内覧会で当展の見どころを探ってみた!
※当記事での館内の写真は特別に許可をいただいたものです。

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河鍋暁斎とは

江戸末期から明治にかけて活躍した絵師。天保2年(1831)現在の茨城県に生まれる。3歳で蛙を写生して始まった暁斎の絵画人生。6歳で歌川国芳の画塾に入るも、吉原遊郭に連れて行く国芳の素行を父親が嫌って2年ほどで辞す。9歳から狩野派の絵師、前村洞和に弟子入り。18歳にして「洞郁陳之(とういくのりゆき)」の画号を授かり狩野派修行を終える。

独立後は「惺々狂斎」を名乗り、狩野派を脱した浮世絵・戯画・風刺画で人気を博す。明治3年(1870)、書画会において官憲を皮肉った絵を描いた嫌疑により、ムチ打ち50回の刑を受けた後、「暁斎」を名乗るようになる。鹿鳴館などの設計を務め、後に弟子となったジョサイア・コンドルなど外国人とも交流を持ち、国際人の一面もあった。従来の日本の流派から西洋画の解剖図まで、様々な画系を学んだ「描けぬものは無い」絵師として活躍した。

解説
画号で使われた「惺々」は、酒好きで赤い長髪をした架空の動物「猩々(しょうじょう)」と掛かっており、「惺」は「心が静まった様子」つまりは「シラフ」を意味している。「酒好きでありながら、シラフ」という二重の意味がかかった画号となっている。

河鍋暁翠とは

明治元年(1868)河鍋暁斎の長女として生まれる。本名は豊(とよ)。幼少より父・暁斎から絵手本を与えられ画才を伸ばした。17歳にして第二回内国絵画共進会に作品を出品し、父と書画会に参加するほど上達。住吉派の大家、山名貫義に入門し大和絵を学んだ。22歳の時に父・暁斎が亡くなるが、翌年の明治23年(1890)には、暁翠の名で第三回内国勧業博覧会に出品した絵「美人」が評価され褒状を得る。

現在の女子美術大学の草創期に日本画教授として教鞭をとり、日本の女子教育に尽力。在職は3年余と短かったが、教え子のなかには母校に残って美術講師となるものが2名、公立の高等女学校の教職となったものが1名、さらには山脇美術専門学校を開校した山脇敏子がいる。

暁斎・暁翠伝の見どころ

今回の展示では暁斎作品が約160点、暁翠作品が約80点(展示替え前・後期含む)出品されるとのこと。これまでの河鍋暁斎の展示とは一味違う、今回ならではの見どころを作品とともにご紹介。

大型作品

会場を入って出会い頭に登場するのは、暁斎がわずか4時間で描き上げたという縦約4メートル、横約17メートルの超大型作品「新富座妖怪引幕」。2015年に三菱一号美術館で行われた「画鬼・暁斎」展ではその大きさゆえに展示できなかった作品。東京富士美術館という大きな会場で展示可能となった大型作品は、今後いつ見られるかわからないため必見だ。

新富座妖怪引幕(左から)
新富座妖怪引幕(右から)

暁斎の「豊干禅師・寒山拾得図」は173×97センチの作品。明治9年(1876)、暁斎が川越の内田斧右衛門宅で描いた席画(即興画)。

中国が唐だった時代の三聖人の図。左側で寒山(かんざん)が岩壁に筆で詩を書き、右側では拾得(じっとく)が墨を磨る。そんな2人を師匠の豊干禅師が虎を従えて様子を見守っている。一枚に人物画・動物画・山水画の要素が詰まっており、これを書画会という即興の場で描けるのは日ごろいかに絵の鍛錬をしていたかがうかがえる。

豊干禅師・寒山拾得図

初公開作品

「暁斎・暁翠伝」では初公開となる暁斎作品も展示されている。「幽霊図」は暁斎の署名や印(落款)がないが、油谷博文堂が明治43年(1910)に出版した『惺々暁斎画集』に暁斎作品として図版が掲載されている。

また、作品ではないが「狂斎」から「暁斎」へ画号を変えるきっかけとなった筆禍事件の際に当局へ提出した陳述書の草案も初公開されている。暁斎は「酒を飲んでいて何を描いたか覚えていない」といった内容で陳述しているとか。

幽霊図

暁斎・暁翠コラボ作品

57歳で亡くなった暁斎は、人気絵師だったゆえに死後残された絵の依頼がたくさんあった。そこで暁翠は父の仕事を引き継ぎ、完成させた作品があったようだ。今回の展示でも父・暁斎が手がけて娘・暁翠が仕上げた「父娘共作」の作品が展示されている。

「寛永美人図」は下絵は暁斎、本画は暁翠という作品。暁斎の下絵では猫だったものが、暁翠の完成作では犬(狆)になっていたり、下絵と本画での顔の特徴が違っていたりと、見比べてみるのも面白い。

寛永美人図(下絵)
寛永美人図(本画)

その他、年中行事を描いた屏風のうち暁斎が11月まで描いて死去したため、12月分を暁斎の遺した絵を元に暁翠がカラスを描いた作品や、暁斎の墨絵に暁翠が着色した作品などが展示されている。

暁翠の画業

今回の展示では、父親の陰に隠れがちな暁翠についても大きく取り上げた展示となっている。暁翠の実力については、明治23年(1890)に授与された第三回内国勧業博覧会の褒状で、橋本雅邦、川端玉章、幸野楳嶺、岡倉天心(岡倉覚三)などの大物審査員たちによって「彩色がしとやかで優雅で全体に俗なところがなく、たいそうほめたたえる」と評価されており、まさに折り紙付き。

第三回内国勧業博覧会・褒状

弟子に何派かを聞かれて、迷うことなく「狩野派です」と答えたという暁翠。狩野派絵師としてのプライドを持ち、能・狂言画なども描いていた。

「松風・羽衣」はいずれも能の演目。右の「松風」は平安貴族のプレイボーイ在原業平に愛された松風・村雨姉妹が霊となって舞う物語、左の「羽衣」は天女と三保の浦の漁師が羽衣を巡ってやりとりする物語。いずれも細やかな彩色、幽玄で静謐な能の世界を表現している。

松風・羽衣
蓬莱山図

能・狂言画だけでなく、席画・戯画も得意とした暁翠。「蓬莱山図」は212×118センチの巨大な席画。下で支えている亀は「霊亀」で四霊獣(龍・麒麟・鳳凰・霊亀)の一つ。仙人が住むとされる蓬莱山に松竹梅が植わり、朝日が昇り、鶴が飛ぶ吉祥画となっている。

迫力ある画面構成や事物の配置などは、とても即興で描いたとは思えない。多くの書画会をこなしてきたのではないかと思わせる。

関連書籍

「暁斎・暁翠伝」の展示に合わせて発売された「河鍋暁斎・暁翠伝 ─先駆の絵師魂!父娘で挑んだ画の真髄─」は図録的な役割はもとより、暁斎のひ孫である河鍋楠美氏が館長を務める河鍋暁斎記念美術館での研究成果が凝縮された一冊となっている。
河鍋暁斎・暁翠伝 ─先駆の絵師魂!父娘で挑んだ画の真髄─

「暁斎・暁翠伝」詳細

河鍋家伝来・河鍋暁斎記念美術館所蔵 暁斎・暁翠伝 ─先駆の絵師魂!父娘で挑んだ画の真髄─
公式サイト:http://www.fujibi.or.jp/exhibitions/profile-of-exhibitions/?exhibit_id=3201804011
会期:2018年4月1日から2018年6月24日まで(5月14日に展示替え)
会場:東京富士美術館 東京都八王子市谷野町492-1
開場時間:10:00~17:00(入場受付は16:30まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館。翌日火曜日が振替休館)

アクセス
JR八王子駅 北口 西東京バス14番乗り場より約15分
京王八王子駅 西東京バス4番乗り場より約15分
入場料:大人:1300円、大学生/高校生:800円、中学生・小学生:400円、未就学児:無料

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