吉田博の木版画、自摺りと後摺りをくらべてみた

新版画を代表する版画家として、川瀬巴水・伊東深水らと並んで近年注目度が増している吉田博。今回は吉田博本人が手がけた木版画の「自摺り」と、後年になって同じ版木を使って摺られた「後摺り」をくらべることで、その違いや吉田博のこだわりにせまっていきたい。

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吉田博とは

本題に入る前に吉田博について手短にご紹介。吉田博は明治9年(1876)9月19日、福岡県久留米市に上田家の次男として生まれる。図画の教師・吉田嘉三郎に画才が認められ、14歳で吉田家の養子に。京都で洋画家・田村宗立に師事、さらに三宅克己のすすめで東京の小山正太郎の画塾・不同舎に入門する。

知己を得た東洋美術蒐集家、チャールズ・ラング・フリーア(フリーア美術館創設者)の勧めもあり、明治32年(1899)に不同舎の後輩・中川八郎とともに渡米。デトロイト美術館で二人展を開き大成功を収める。

米国で成功した頃の吉田博
米国で成功した頃の吉田博

帰国後は若手画家仲間とともに「太平洋画会」を結成。フランス帰りの黒田清輝らを中心とした「白馬会」と明治洋画界を二分する組織へと発展する。二度目の洋行から帰国後の明治40年(1907)、義妹のふじをと結婚。同年に創設された文展にも入賞し、国内でも洋画家としての地位を固めていくことになる。

吉田が自ら木版画の出版を手がけることになったのは大正14年(1925)。吉田は49歳になっていた。三度目の世界旅行から帰国し、描きためたスケッチをもとに米国・欧州シリーズの木版画を完成させる。そこからおよそ20年に渡り、精力的に木版画制作を行った。昭和25年(1950)4月5日に73歳で永眠。

吉田博の自摺り

吉田博の自摺りとは

吉田博の木版画には、「自摺り」と「後摺り」に分かれ、市場価値もこの違いによって大きく差が開く。一般的には、下絵を描いた本人が版画の摺り作業も担当する場合に「自摺り」というが、吉田博の木版画の場合は少し違う。彫師や摺師を自ら雇い、吉田本人の監修が入ったものを「自摺り」と呼んでいる(吉田自身も彫りや摺りに取り組んでいるが、「自摺り」だからといって本人が摺りを行っているとは限らない)。

これは従来の浮世絵から続く版元制(出版元が絵師・彫師・摺師の分担を決めてプロデュース)と、当時出てきた創作版画(絵師/画家が自ら絵師・彫師・摺師の役割すべてをつとめる)を意識して、両者とも違う第三の道を模索した結果、生まれた手法といわれる。

吉田博の自摺りの見分け方

今回、吉田博の「自摺り」と「後摺り」の比較に使う作品は「根津 正直八百屋」。大正15年(1926)に制作された「自摺り」と昭和46年(1971)に制作された「後摺り」を用意した。

「根津 正直八百屋」(大正15年)
「根津 正直八百屋」(大正15年)
「根津 正直八百屋」(昭和46年)
「根津 正直八百屋」(昭和46年)

他作品にも通じる、吉田博の自摺りの基本的な見分け方としては次の3点が挙げられる。

・余白に「自摺」印
・余白に「Hiroshi Yoshida」と鉛筆描きのサイン
・「よし田」と毛筆のサイン

画像ではわかりにくいが、後摺りのサインはすべて版によるもの。自摺りの毛筆サインはよく見ると、筆先の割れやにじみがあることがわかる(毛筆サインは家族がサインした場合もあるとか)。

「自摺」印あり
「自摺」印あり
「自摺」印なし
「自摺」印なし
鉛筆サインと毛筆サイン(自摺り)
鉛筆サインと毛筆サイン(自摺り)
版によるサイン(後摺り)
版によるサイン(後摺り)

くらべてわかる自摺りと後摺りの違い

さらに「根津 正直八百屋」を使って「自摺り」と「後摺り」の違いをくらべてみよう。

後摺りでつぶれた線

同じ版木で大量枚数を摺り続けると、版木にダメージが加わっていく。同じ版木を使う後摺りには新たに彫りの作業を行わなくてよいメリットがある一方、自摺りの段階で所定の販売枚数まで摺られた版木を使うため、自摺りに比べて線がボヤけたりつぶれたりする傾向がある。

下にあげた例では、自摺りではつながっていない線が後摺りではつながっている。絵の具を版木につけすぎても同じことが起きるが、そうだとしても版木がつぶれて凹面にたまった絵の具が紙につきやすくなっていたと考えられる。その他の箇所も目を凝らすと、線がボヤけているところが見受けられる。

比較1(自摺り)
比較1(自摺り)
比較1(後摺り)
比較1(後摺り)

陰影表現がもたらす立体感

自摺りには濃淡により陰影をつけることで立体感が際立っている箇所がいくつかある。濃淡それぞれの色を用意して摺ったというより、同じ色を重ねて摺って色の濃淡をつけていたのではないかと思われる。たとえば、かごに入ったナスがそれだ。後摺りでも濃淡をつけているが、特に下のかごに入ったナスは濃色を強く出したため、主線がかすんでしまっている。

比較2(自摺り)
比較2(自摺り)
比較2(後摺り)
比較2(後摺り)

また女性の髪留めも自摺りの方が濃淡による陰影がつけられ立体感がある。濃淡の加減が強すぎると自然な陰影表現にならない。弱すぎても色面がボヤけて陰影の効いた立体感が出ない。くらべなければ気づかないわずかな違いだが、自摺りは濃淡の加減が絶妙で細やかなこだわりが感じられる。

摺りで作り上げる素材感

木版画ではバレンの圧のかけ方や絵の具にのりをまぜることで、あえて色ムラを作り素材感を表現する技法がある。自摺りでは、女性が着ている浴衣や手にしている手ぬぐいに色ムラがあることで、着こなしてきた布地のような素材感が伝わってくる。逆に後摺りは色ムラがほとんどなくキレイに摺られた分、濃いめの色づかいとあいまって新品の浴衣のように見える。

比較3(自摺り)
比較3(自摺り)
比較3(後摺り)
比較3(後摺り)

まとめ

版元・絵師・彫師・摺師の協業で高みを目指す版元制と、自らが版下絵・彫り・摺りのすべてを行うことで作者の意図を完全に反映させることを目指す創作版画。そのあいだをとった吉田博の「自摺り」には「後摺り」とくらべれなければわからないほどの細かな点で吉田本人のこだわりが垣間見えた。

しかし「後摺り」も木版画技術の継承という点で大きな意義がある。むしろ、くらべなければわからないほど「自摺り」に近づけていった探求を通じて解明されていく技術や手法によって、木版画技術の継承以上の新たなものを今後の木版画にもたらされることを期待したい。

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参考資料

「没後70年 吉田博展」図録 吉田司監修(2019)

浮世絵グルメ 銀座天國